代表メッセージ
生き生きと働く人を
一人でも多く、
お客様に美味しい笑顔を。
有限会社三木北京閣の代表の中山勇士です。
現在、中華レストラン、餃子バル、焼き鳥店、焼肉店、食パン専門店そして、セントラルキッチンと業務を拡張しています。
私が代表を務める有限会社北京閣は元々は私の祖父・父が兵庫県加西市で立ち上げた会社です。加西市での本格的な中華料理の大型店は当時、競合もなく大繁盛店となりました。そして同じ業態で三木市にも2店舗をオープンし、これも大ヒット。会社はこれから大きく発展する。そう父は感じていたと思います。
大繁盛店からの転落
父は私にこう言いました。「この店は俺の代で終わらせる。お前は普通に就職しろ。お前ならどこでもやっていけるから。」これはきっと父の愛情だったのだと思います。息子には苦労させたくない。そんな父親の思いやりだったのでしょう。
「この店は
俺の代で終わらせる」
父からの言葉を胸に
私は元々野球選手でした。小学校、中学校、高校、大学とずっと野球部でした。ポジションはピッチャーです。多少自慢にはなりますが、プロ並みの速球が私の武器でした。しかし、やはりプロの壁は厚かった。人生で初めての挫折です。自分の身体能力ではプロに届くはずがなぜ、、、。自分の人生はこれからつまらないものになる。そんな不安と恐怖がこの頃の私にはあったのです。
プロ野球選手をあきらめて道がわからなくなった時、私は、父親の言葉を思い出しました。そしてこう思ったのです。「この店を自分の代で終わらせてはいけない」と。私は子供の頃から野球ばかりしてましたから勉強ができるわけでもないし、資格を持っていたりもない。
私は他所の飲食店で修行することにしました。ホテルのレストランだったのですが私はそこでとても信頼できる人間関係を作ることができました。それはおそらくですが私がとても一所懸命仕事をしていたからだと思います。先輩からもとても可愛がられました。
社長人生のスタート
料理の修行と見聞を広めて、私は北京閣に戻ります。
そして三木と加西にあったお店を一つにします。
それが私の社長人生のスタートです。
ピンチをチャンスに
「これはチャンスだ。」と。
そして私の信頼できる人が10人集まった頃三木北京閣は復活します。お客様が毎日たくさん来てくださる繁盛店になりました。なぜ私は、このような現実を作ることができたのか?もちろんそれは戦略もあります。しかしその戦略を実行するのは人です。この人と信頼関係がとても大切だと考えています。
チーム全体をみる
野球でピッチャーというプライドを強く持つタイプが多いのですが、私は人を押し除けても自分が中心に立つというタイプではありませんでした。
高齢になったスタッフも働けるセントラルキッチン。明石で上手く行かなかった中華料理店を焼き鳥店に業態変更して復活。今、自分の弟に任せている高級食パン専門店。これらは、今いる自分の周りの人達にいかに活躍できる場を提供するか?この両方を全体的に見れる私の考え方によるものです。
私は時間はかかりましたが自分の人生の方向性が見えました。それは、生き生きと働く人を一人でも多くこの社会に生み出していくこと。そのための環境を大きくしていくことです。
私の約束
有限会社 三木北京閣
代表取締役 中山勇士
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有限会社 三木北京閣 代表取締役
中山勇士
1977年、兵庫県三木市生まれ。 プロ野球選手を目指し、小学校から大学まで野球漬けの毎日を送る。
企業理念:『清く 正しく 美しく』
趣味:ゴルフ |
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